〜救護兵として戦地へ向かった祖父と、私の後悔〜
新潟県から、祖父の戦争資料が届いた。
申請からおよそ1か月。
700円を銀行で振り込み、静かにその日を待っていた。
封筒を開ける手は、少しモタモタとして、ドキドキしていたのを覚えている。
「祖父はどんな戦地を歩き、どんな思いで帰ってきたんだろう」
そんな気持ちが胸に広がっていた。
だけど、開けてみて驚いた。
昔の古い資料で、漢字だらけ。まったく読めない(笑)
そこで、またまたチャットくん(AI)の出番。
資料の写真をアップすると、ほんの数分で祖父の軍歴が解説されていった。
■ そこには、知らなかった祖父の人生が書かれていた
祖父は〇〇農林学校を卒業し(今の中学校にあたる)
20代前半で召集され、
救護兵(衛生兵)として日中戦争の満洲へ派遣されていた。
爆撃や銃声の中で仲間を助ける、
看護と救助の最前線。
医師ではないけれど、兵士の命をつなぐ大切な役割。

そして戦地で病気を発症し、内地(日本)に送り返され、
その後、片足を失った。
知らなかった。
こんなにも過酷な人生を歩んだ人だったなんて。
資料を読みながら、私は何度も息を飲んだ。
■ あの頃の私と祖父
私は昔、祖父が少し苦手だった。
無口で、何を考えているかわからない。
お酒を飲むと人格が変わり、暴れだす姿を何度も見た。
父と祖父が大声で口論する音は、幼い私にとって“世界の終わり”のようだった。

その瞬間の私は、
怖くて、息をひそめて、ただ固まることしかできなかった。
大人になって気づいたこと。
私は、
・不機嫌な人
・怒っている声
・ピリピリした空気の家や空間
が、どうしようもなく怖い。
「なんでこんなに怖いの?」
「誰も怒っていないのに、なんで身体が固まるの?」
ずっとわからなかった。
これが、私のインナーチャイルドのテーマだった。
何年も癒し続けてきたのに、
どこか“最後の一枚の膜”のようなものが残っていた。
■ 祖父の資料を読み解いたとき、すべてがつながった
祖父は戦場で、大切な仲間の死を見て、
恐怖や悲しみの中で救護活動をし、
病気になり、片足を失い、
心の深い部分に一生消えない傷を負って帰ってきた。

語れなかったのではない。
語れば心が壊れてしまうほどの体験だったのだと思う。
その“痛み”は、言葉ではなく感情として、
父へ、そして私へと受け継がれた。
資料を見た瞬間、私はハッとした。
「ああ、私がずっと怖がっていたものの正体は、
祖父の痛みだったんだ。」
そう理解した瞬間、
胸の奥で、固まっていた何かがすっと溶けていく感覚があった。

ずっと抱えていた恐怖が、
“家族の物語”として意味を持ったことで、
癒されていくのをはっきり感じた。
■ 不自由な体で、それでも家族を守った祖父
祖父は日本に戻ったあと、
障がいのある体で国鉄に勤め、
家族を養い、父を育て、
そして私たち孫へと命をつないでくれた。
私はそのことを知らなかった。
「怖いおじいちゃん」だと思い込んでいた。
でも本当は、
片足を失いながらも命をつなぎ、
不安や恐怖を抱えながら家族を守り抜いた人だった。
資料を読みながら、何度も涙が溢れた。
祖父が歩んだ人生は、想像を絶するほどの痛みと愛でできていた。
■ 命のリレーを、絶やしてはいけない
祖父の人生を知って、私は強く思った。
戦争は、心を壊す。
その痛みは世代を越えて連鎖する。
でも、その連鎖を終わらせるのは、
“今を生きる私たち”なのだと思う。
祖父が片足で守った命を、
祖父が命をかけてつないでくれたエネルギーを、
私は絶対に無駄にしたくない。
私にできることを精一杯伝えていく。
愛と平和を、私の人生でしっかりと育てていく。
ありがとう、おじいちゃん。
あなたのおかげで、私は今ここに生きている。
次回は「世代間連鎖の仕組みと、どう終わらせていくか」
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